古いピッケルを親父が持ってきた 我が家には登山家の血が流れていたよう

88歳になる親父が古いピッケルを持ってきた。いろいろ話を聴くと親父の兄さんが昭和10年代に自分で作って使用していたものらしい。親父も私が生まれる前にこれをもって宇奈月から十字峡までいった経験を話してくれた。我が家には登山家の血が流れていたようだ。

ピッケルの柄の部分に「黒部 祖母谷」の刻印がある。そこを訪れた際に押してもらったとのことだった。昔はそんな習慣があったようだ。長さは偶然にも今私が使用しているブラックダイヤモンドのストックと同じぐらいで、先端を下について持つと肘が90度となる。ちょうど100cmあった。CAMPのピッケルが55cmなので約倍の長さがある。当時はこの長さのピッケルを今のストックのように使用していたようだ。

今のように長さを短くできない分邪魔になることも多いのかもしれないが、理にかなった登山用具だったのだろう。ネットで昭和30年代のピッケルを調べてみたところ、もっと進化したものになっている。やはり相当古いのかもしれない。

ピッケルの形状は、相当昔からこの形だったことにも驚かされた。剣岳開山の映画「点の記」の登山家たちもこのようなピッケルを持っていたように思う。親父は最近身の回りの整理をし始め、このピッケルと一緒にウールのニッカズボンも持ってきてくれた。私も大学生のころは、ニッカズボンにウールのシャツを着て登山に行っていたが、いつかそれを着て登山をしてみよと思う。

我が家の実家は、立山町にあったのは昔から知っていたが、登山家の血も流れていたことを改めて確認するとともに、登山の血が騒ぐ原因も理解できた。雨が降ってどこへも行けない日に思わぬ発見をした。

昔はストック(杖)代わりだったのだろう。

形状は今のピッケルと同じ。

今のピッケルより小さめ。

こんな時代のピッケルだったのかも。


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