初めてのチェアースキーのボランティアに参加。基礎スキーの準指導員・指導員同期の高村君のお手伝いでしたが、素晴らしい経験ができました。リレハンメル・パラリンピックで銅メダルをとっている高村君の的確なチェアースキー指導に感心されっぱなし。スキーに対するモチベーションがまた上がってしまいました。
高村君は、私と同じ年齢であり、準指導員・指導員が同期。大学卒業後に富山に戻って準指導員の資格を取得した時のスキーのライバルだった。彼はその後雷鳥バレースキー学校の常勤インストラクターとして、富山県の基礎スキー界をけん引するトップスキーヤーとして活躍した。
そんな彼は28歳の時に事故で脊髄を損傷。その後チェアースキーに出合って、この世界の日本の第一人者になった。昨年までは日本チェアースキー協会の競技部長として、日本のパラリンピック・チェアースキーの活躍に尽力してきている。今年からは副会長として、更なるチェアースキーの発展に多忙なシーズンを送っている。
彼からチェアースキーに出会った時の話を聞くとびっくりさせられる。初めてチェアースキーでゲレンデを滑った日、午前中は緩斜面で練習していたが、午後からは、雷鳥バレーの上のゲレンデに行き、急斜面を滑ることができたそう。下半身は使えなくても、上半身にはスキーの感覚が残っており、スムーズにスキー操作ができるようになっていたそうだ。そんなチェアースキー選手は彼だけだと思われる。
チェアースキーで世界を飛び回っていた彼と、ゲレンデで再開したのは確か38歳頃だったと思う。八方尾根スキー場で滑っていた時、チェアースキーの全日本の合宿が同じスキー場で行われていた。私がリフト待ちで止まっている所にチェアースキーの彼が滑ってきて「お前の滑りは何処にいてもすぐに分かる。お久しぶり!」と声をかけてきた。調度カービングスキーが世の中に出はじめていたころで、新しいテクニックを身につけるために必死だったころだ。その頃彼は世界を飛び回り、メダルを目指してハードな練習を行っていたのだ。
今回、私の勤務の関係で彼との関わりも改めて深くなった。私がスキーを続けている要因に、彼のチェアースキーでの活躍が大きなウエイトを占めている。そんな彼との33年ぶりとなるスキーに、今日は少々興奮してしまった。心からスキーを続けてきて良かったと思った。
若手の女性チェアースキーヤー・小百合さんの指導に私も熱が入ってしまった。障害者の障害の度合いは個々に違う。的確に身体の状態を把握し、チェアーへの身体の固定の方法を工夫するなど、一般スキーヤーとは全く違う心遣いと、配慮が必要となる。それを的確に指示し、上達させていく高村君の指導力に改めて感心するとともに、スキーに対する更なる情熱が湧いてきた。本当にいい刺激をもらったチェアースキーのボランティア活動となった。

先ずは、車からチェアースキーへの移動を手伝うところから、ボランティアの仕事がスタート。

しっかりチェアースキーに固定するところが大切。チェアースキーの椅子は、バケットになっており、個々のお尻の大きさに合わせた物を使用する。スキー靴が脚にフィットしないとうまくスキー操作ができないのと同じ。最も重要なところ。

スキー場内には、車椅子も持ち込む。食事やトイレタイム等は、こちらを使用する。

二人で記念撮影

さあ練習開始。

練習内容について確認 彼女も真剣

一緒にリフトへ乗車。 これにもテクニックがある。

うまく乗れても降りるのが大変。

身体が後ろに寄りかかっているが、これではダメ! スキーへの荷重が後ろになってしまう。スキーはターンしてくれない。

チェアースキーヤー1名にサポーター3名の贅沢な練習



ブラインドスキーヤーの方も来られて練習開始。青空が出てきた。


だいぶ滑れるようになってきた。

彼は自由自在。彼のサポートはまったく不要。

後ろから声をかけていく。


スタート前にターンの方法について説明。

小百合選手は倒れてしまった。

彼女に重要なところを説明する。スキーの基本は同じ。

倒れた彼女を起すのも仕事となる。緩斜面の方が一人で起きれない。

高村君の提案で、私がバケットをもって支えながら滑る。

私は腕で彼女の上半身の向きや倒し方を指示しながら滑っていく。

慣れてくると彼女が自ら身体を動かして滑る。

私は後ろで支えるのみ。まるで初めて自転車の練習をするときと同じ。

支える量を少しずつなくしていく。

私にとっても低い姿勢で滑る練習となった。

うまく傾いて滑っている。上達した。

今日のサポートメンバーと小百合さんの友達も集合。

いつもの自撮りでヒョッコリ。
充実したチェアースキー・ボランティアでした。
